ふるさと物産企画センターは、株式会社ポパルの通信販売部門です。
郵便局の通販カタログ「東京お中元特選品」「東京お歳暮特選品」などの媒体にて、商品を掲載し販売いたしております。
より多くのお客様にふるさと物産企画センターの梅干しを知っていただきたいとの思いから、インターネットを利用した通信販売も行っています。
どうして、梅干しの通信販売を始めたのか?
その理由をご紹介いたします。
(社内報 2007年7月号より)
20年前、我が社の梅干しはこうして生まれた・・・
(株)ポパル 専務取締役 長谷川 裕子
きっかけは、とある百貨店商品部の部長が社長に言った「これからは梅干しがいいよ」というひと事でした。
それはまだ、社長以外は女性スタッフ5人のみのちっぽけな会社を経営している頃。とある施策で、佐渡のおけさ柿や北海道のアスパラを扱っていた時の事です。
社長がラジオで聴いたという「紀州に『うめ課』という課がある役場があるらしい」という情報を頼りに、和歌山県庁へ電話。数日後には南部川村(現・みなべ町)のうめ課を訪ね、担当のMさんに次の3つの条件を出して加工業者を紹介してもらいました。
1)ギフト商品の開発に力を入れていること
2)東京市場に焦点を当てていること
(当時の和歌山地域の出荷先は関西が中心だった)
3)若い経営者が中心となっていること
役場のMさんが最初にクルマで案内してくれたのが、今も取り引きが続いている企業でした。他にも数社回りましたが、その企業の専務(当時32歳)が見せてくれた試作品(ワイン漬けの梅、一粒ずつ包んだ梅、壷入りギフト……)の数々に、気迫と熱意を感じ共感したのです。
帰路、梅についてまったく無知だった自分が、現地でいろんな人の話を聞くうちにスッカリのめり込んでいるのに気づきました。
その後、「そうだ、商品に生産者の声をそのまま入れたカセットテープを付けよう」と、カセットデッキを抱えて再び南部川村へ。紀州梅を最高級ブランドに押し上げた「南高梅」という品種を開発した小山貞一さん(当時80歳)を訪ねました。
梅畑を案内してもらいながら「小山さんの夢は?」の問いに応えてくれた言葉が今も耳に残っています。
「この村をどこよりも裕福な村にすることができて、夢がひとつ叶った。が、問題なのはこの後。『月満つるは欠くる』と言うて、人間も四十が盛りで……。」
テープを徹夜で編集し、いよいよ商品化。壁はいくらでもありましたが、互いの真摯な姿勢を理解し合えるようにもなり、双方の業績も伸びました。
今後も互いに研磨し合える良好なパートナーであり続けたいと願っています。