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紀州の梅干し 今昔物語

20年前。我が社の梅はこうして生まれた

かわらばん

当時の『梅干販促用「かわらばん」』

きっかけは、百貨店商品部の部長が社長に言った「これからは梅干しがいいよ」というひと言だった。

それはまだポパルと合併する前。社長以外は女性だらけ5人のちっぽけな会社、(株)ハンディクラフトの時代。とある施策で、佐渡の柿や北海道のアスパラを扱いだしていた頃のことだ。

社長がラジオで聞いたという「紀州に『うめ課』という課がある役場があるらしい」という情報を頼りに、和歌山県庁に電話、数日後には南部川村(現・みなべ町)のうめ課をたずね、担当者(確か、Mさん)に次の3つの条件を出して加工業者を紹介してもらった。

1.ギフト商品の開発に力を入れていること
2.東京市場に焦点を当てていること(当時の和歌山地域の出荷先は関西が中心だった)
3.若い経営者が中心になっていること

役場のMさんが最初に車で案内してくれたのが、今も取引が続いている、ある企業だった。他にも数社回ったのだが、その企業の当時の専務が見せてくれた試作品(ワイン漬けの梅、一粒ずつ包んだ梅、壷入りギフト・・・・・・)の数々に、気迫と熱意を感じ共感した。

帰路、梅についてまったく無知だった自分が、現地でいろんな人の話を聞くうちにスッカリのめり込んでいるのに気づいた。

その後「そうだ、商品に生産者の声をそのまま入れたカセットテープを付けよう」と、再びカセットデッキを抱えて南部川村へ飛んだ。紀州梅を最高級ブランドに押し上げた「南高梅」という品種を開発した小山貞一さん(当時80歳)を訪ねた。

梅畑を案内してもらいながら「小山さんの夢は?」の問いに応えてくれた言葉が今も耳に残る。「この村をどこよりも裕福な村にすることができて、夢がひとつ叶った。が、問題なのはこの後。『月満つるは欠くる』と言うて、人間も四十が盛りで・・・」。

テープを徹夜で編集し、いよいよ商品化。壁はいくらでもあったが、互いの真摯な姿勢を理解し合えるようにもなり、双方の業績も伸びた。今後も互いに研鑚し合える良好なパートナーであり続けたいと願っている。

そして今。紀州訪問紀行

完熟したやわらかい梅の実が、たわわに実る6月某日。
梅干工場の視察のため、一路紀州へ。

梅が鈴なり状態の梅畑。熟して自然に落ちた梅を拾う 青梅の市場にて「1パレット500kgの梅」 完熟度の違う5個の梅 眺めていると楽しいサイズ自動選別機 11tタンクにいっぱいの梅の塩漬け 二次加工工場で、商品として出荷される

■担当者より

梅干づくりは今(6月)が一番忙しい時期なのですが、驚いたことに、大手百貨店・スーパーのバイヤー達も視察に来ており、梅干の企業ではこの時期、「接待チーム」を編成して各所を案内するのが毎年の行事になっているそうです。

工場を訪問して強く感じたのは、地域密着企業としての実績や誇り、時代に対応したチャレンジ精神だけでなく、社員がイキイキと働いている姿でした。

ポパル接待役のK氏も営業とはいえ、力仕事の部署で人手が足りなければ積極的に手伝うことが当然で、営業の人はどの行程の仕事でも臨機応変に対応できるそうです。

こういった姿勢にポパルと近いものを感じ、だからこそ20年以上も取引が続いているのだと実感しました。

※この取引企業との親身な付き合いから、新しい企画も進行中です。

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